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絶体絶命の中国経済と「成長の神話」の終焉

◎石平(せきへい)のチャイナウォッチ
⇒ http://archive.mag2.com/0000267856/index.html

発売予定の
「中国のメデイアが語る中国経済崩壊の現場」(海竜社)
より抜粋。

■絶体絶命の中国経済と「成長の神話」の終焉■

本書の第一章から第四章まで、中国国内メディアの報道や論評を材料にして、
中国経済のおかれる現状と今後のすう勢を見てきた。

それは、崩壊する寸前の危機的な状況であることは明らかだ。
暴落、減産と減給、生産停止、倒産ラッシュ、リストラの波、
「○○産業の厳冬入り」などの際どい単語の綴りで語られている
この国の経済状況は、「危機的な状況」と言わずにして何というべきなのか。

そして、筆者の私の目から見れば、
状況がこうなったことの原因もあまりにも簡単だ。
要するに、
中国の経済成長は最初から構造上の致命的な弱点を抱えてきたが故に、
それは危機的な状況に落ちるべくしてやがて落ちてしまった、
というだけのことではないのか。

この10年ほど世界を驚嘆させてきた、鳴り物入りの中国の高度経済成長は、
その内実を見てみれば実に脆弱なものだった。
要するに、国内的には固定資産投資ブームを起こして関連産業を繁栄させ、
国際的にはWTO加盟後の有利条件を最大限に利用して対外輸出を年々に増やす。
この二つの原動力をもって経済の高度成長を牽引していく、という構造
であ
る。
このような構造が脆弱であることの理由はこうである。

国民の消費水準を超えた固定資産投資の継続的拡大は
やがて供給と需要のアンバランスを生み出して
自らの限界にぶつかるのに違いないし、
年々における輸出の拡大は海外市場がいつまでも「無限」であるという
不可能な条件の上に成り立つ持続不可能なものなのだ。

つまり、このような構造下での経済成長は
いずれか頭打ちとなって失速に転じていくのは自明のことだ、ということである。

案の上、2006年当たりから、
企業による設備投資のあまりにもの増大は例の「産能過剰」の問題を引き起こして
経済全体のバランスを徐々に崩していった。

その一方、不動産投資の急速の伸びはやがて不動産バブルを生み出し、
「世界一」の不動産価格の高騰をもたらしたが、2007年の終わり頃から、
不動産価格と販売件数の両方はいよいよ下落に転じた。

これまでには、海外市場の好況によって支えられた輸出の伸びは大きな助けとなっ
た。
「産能過剰」のかなり大きな部分が海外市場によって吸収された一方、
輸出によって稼がれた外貨収入を背景に国内の「流動過剰」が生じていて、
それが不動産バブルを支える大きな要素ともなっていた。

が、2008年に入ってからはすべてが変わった。
サププライム問題に端を発したアメリカ経済の景気後退が少しだけ頭をもたげると、
それが直ちに中国の対米輸出に大きく響いて、
経済危機の発生に繋がる一連のドミノ骨牌の最初の一枚を倒すこととなった。

それ以来、アメリカ発の金融危機が深まり広がっていくのにしたがって、
中国の対外輸出はますます後退して
多数の関連産業に大きな打撃を与えることになった。

しかも、2006年からすでに蓄積してきた「産能過剰」の問題も
輸出の不振によって顕在化した結果、
不況の波は一気に高ぶって中国の全産業に押し寄せていった。

そして、まさにこの同じ時期において、
不動産バブルも崩壊するプロセスに入ってしまった。
価格の下落、市場の低迷が続く中、
不動産投資の拡大はもうそれ以上望めないから、
不動産業の急速な伸びによって支えられてきた鉄鋼や建材、
セメントなどの関連産業は衰退の「厳冬入り」を余儀なくされ、
産業の衰退に拍車をかけた。

このように、今までの中国の経済成長を牽引してきた二つの原動力である
「投資拡大」と「輸出拡大」は、図らずとも
2008年という「厄年」を同じ時期にしてその勢いを失い、
「燃料切れ」寸前の状況となった。

その結果、そもそも持続性の欠けた中国の経済成長は、
その構造上の弱点と歪さを一気にさらし出して
音を立てて崩れていくことになった。

海外市場の縮小による輸出の低迷と
不動産バブルの崩壊が同時にやってくるとは、
中国経済にとってまさに二つのボディー・ブローを同時に受けたような
最悪のケースである。

運の尽きと言えばそれまでだが、
それはまた、中国経済の背負ってきた運命の結果ではなかろうか。

こうなった以上、中国にとっての唯一の生き残りの道は
すなわち内需の拡大であるとは言うまでもない。
出来るだけ早く内需を増大させることによって
急速に崩れていく産業を辛うじてもちこたえるのである。

しかしそれはまた大変難しい。

一般国民の消費能力と消費意欲を向上させることは
内需拡大の決め手であるが、そこはむしろ中国経済のアギレス腱なのだ。

国民的保険システムの不整備、貧富の格差の拡大、中産階級の不在などが
慢性的な消費不振を生み出した構造的な要因であることは
本書の既述の通りであるが、それらの条件がすぐに改善できそうもない。

それに加えて、株価の暴落、
企業の倒産・減産に伴う失業・リストラ・減給が広がっていく今の現状下では、
国民大半の消費能力はむしろ低下していく傾向にあるのは自明のことだ。

その中で、何らかの財政出動によって
国民全体の給与水準を一気に引き上げたら良いのではないか
との提案も国内から出ているが、
今の中国政府の財政状況下ではそれはどうやら実現できそうもない。

2008年11月27日、中国国家発展改革委員会の張平主任は公の場で、
「中国政府は今、一般国民の給与水準を大幅に引き上げるつもりはない」
と明言したことはその証明である。

一部の学者はまた、農村の消費市場を活性化させることによって内需の拡大を図るべ
きだと提言した。
しかしそれもやはり無理の話であろう。
同じ国家発展改革委員会の副主任を務める杜鷹氏は2008年12月1日、
ある会議の場において

「2009年には、農民の収入増加は期待できない」

との見解を示した。
彼が曰く、

中国の農民たちの収入の7割以上は
農業以外の出稼ぎ収入によって占められているが、
沿岸地域の企業倒産と不動産の建築現場の縮小が原因で
この部分の農民収入は今後むしろ減少していく傾向であるという。

だとすれば、農村市場の活性化に内需拡大を図るようなプランは
やはり絵に書いた餅にすぎないのである。

最後に、中国政府が内需拡大に最大の望みをかけたのは、
すなわち「10項目の4兆元景気刺激策」を持ち出すことによって、
地方と社会全体の投資ブームをもう一度巻き起こすという件の企みである。

そしてそれに応じて、
中国の各地方政府は合わせて18兆元にも上る
「投資計画」を提示してきたことは今までの経緯である。

しかしそれは、「固定資産投資の無闇な拡大」
という中国経済の犯した失策をもう一度蒸し返しただけのやり方であり、
自分の失敗した二の轍を自分で踏むという愚挙以外の何ものでもないことは
本書の指摘した通りである。

このような投資拡大計画が実際に実施されたとしても、
それが「強心剤」として経済失速の「救命」に多少の効果があるかもしれないが、
中国経済の歪な成長構造の改善にまったく繋がらないことは明らかである。

いや、むしろ、こうした歪な構造をますます強化させてしまい、
将来における自律成長の道さえ防いでしまうのだ。

こうして見ると、
今の中国経済はまさに絶体絶命の状況下に置かれているように見えた。
すべての道が塞がれてしまい、
あらゆる救助手段も起死回生の決め手にはならない。

最後に、中央政府ならびに地方政府という「藪医者」たちの処した延命策は
またもや愚策の中の愚策であることもご覧の通りだ。

中国経済の救いは一体どこにあるのだろうか。

最後にもう一つ、
今後における中国経済の失速に拍車をかけそうな要因に触れておきたい。

本書ではまた触れていない社会的要因だ。

つまり、企業の倒産やリストラが広がっていく中で大量失業が発生した結果、
社会的不安がよりいっそう高まってくることである。

実は今までの中国では、
経済が10%以上の成長率を誇示して繁栄を呈している最中でも、
農村部では一億五千万人の失業者が溢れていて、
毎年の大学卒業者の三割程度が就職できない状況が続いている。

それが一つの原因で社会全体の不平不満が常に危険水域に止まり
年間数万件の暴動や騒動が実際に起きていることは周知の通りだ。

経済が急速に成長している最中でもこのような状況だったから、
今後は経済の失速と不況の到来が確実なすう勢となったなかでは、
失業はさらに増えて収入はさらに下落して
人々の不平不満はさらに高まっていくのが避けられない傾向であろう。

そうすると、暴動や騒動やさらに頻発して社会的不安はますます高まり、
それが逆に大きな社会心理的な要因となって投資と消費の冷え込みを誘い、
経済のよりいっそうの低迷を招く結果となるのであろう。

そして経済のよりいっそうの低迷は
当然さらなる失業の拡大と収入の低下を招くことになるのだから、
それは社会的不安のよりいっそうの高まりに繋がっていくのに違いない。

つまり、中国社会はどこかの転換点において、
「経済の低迷が社会的不安を拡大し、
社会的不安の高まりは逆に経済の低迷に拍車をかける」
のような悪循環に入ってしまうと、
その止まるところを知らずにして状況が
どんどん悪化していくような泥沼に陥ってしまう可能性もあるのである。

もしこのようなシナリオは現実的なものとなれば、
それこそ中国経済の崩壊のみならずにして中国社会全体の崩壊を意味するものであ
る。

中国という国はこれから、一体どのような地獄を見ることになるのか、
それこそは天のみぞ知ることであるが、
少なくとも、今まで十数年間にわたって世界を驚嘆させてきた
中国経済の「成長神話」は、いよいよその終焉を迎えることだけは確実であろう。

そして、その後に何かがやってくるのか、まさにこれからの「楽しみ」である。

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