世界に例のない強大な官僚権限
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ビジネス情報月刊誌「エルネオス」
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7月号 巻頭言
紺谷典子の賢者に備えあり
~世界に例のない強大な官僚権限~
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「福田内閣が“渡り鳥人事”禁止へ」と報じる記事を、民主党の長妻昭氏が紹介していた。天下りが問題になった昨年のものと誰しも
思うが、福田は福田でも、お父さんの福田赳夫内閣、なんと三十二年前の新聞記事だと“落ち”がつく。霞が関の城砦はそれほど堅牢
だ。金融危機を回避し日本経済の安定を目指す今回の経済対策でも、最も確実に安定を得るのは、巨額の補助金を受け取る天下り機関
だ。
小泉改革以降、とりわけ日本経済の凋落は著しい。地方の疲弊と国民の生活不安は限度を超えつつある。マスコミは政治批判を繰り
返すが、元凶は永田町よりむしろ霞が関である。わが国の最大の権力者は、財務省を頂点とする霞が関だからである。国民の付託を受
けたわけでもなく、結果責任を問われることもない霞が関が、国民とかけ離れた目的で強大な権限を行使する。
官僚組織は本来、政治の決定を実現するための存在だが、日本では政治が官僚の決定を追認する。世界にも稀な国なのだ。官僚支配
は行政・立法の隅々から司法に及ぶ。知事の半分は霞が関の出身だし、最高裁判事には官僚OBと御用学者の枠がある。三権分立は教
科書の中だけの話だ。
選挙の洗礼を受ける政治は国民の意思を無視し得ない。しかし、官僚はそうではない。ひたすら自身の権力拡大と組織防衛に邁進
し、その障害になるなら、日本経済の安定も国民生活の安全・安心も犠牲にしてはばからない。国際会議の場で意に沿わぬ大臣発言を
即座に否定することなど朝飯前である。官僚決定を民間の意思に見せかける、審議会や有識者会議という洗浄の仕組みさえ持ってい
る。当然、それに適した人材が選ばれる。建前はどうであれ実際に選任権を持つのは官僚だ。
「官から民へ」は、ご存じ小泉改革のキャッチフレーズだ。民営化それ自体が改革であるかのような幻想を振りまき、公共サービスの
低下を懸念する反対派の声を封じ込めた。「自民党をぶっ壊す」とともに、国民の官僚不信、政治不信を巧みに突き、米国の傀儡、大
蔵省への丸投げという実態を覆い隠すのに成功した。「官から民へ」の言葉とは裏腹に、官僚支配は逆に強化され、改革の掛け声で行
政責任の放棄を正当化したのである。もちろん、利益を得たのは国民ではない。民営化の旗印で権限行使の自由と財源を手に入れた天
下り官僚だ。公的機関が次々と独立行政法人化され、その結果、多くの国有財産が官僚の私物と化し、容易になった天下りは激増し
た。
自民党はぶっ壊れ、政治は確実に劣化した。人事権、公認権を乱用し、党内議論を封殺した恐怖政治をリーダーシップとおだてあげ
たマスコミの協力が、劣化に拍車をかけた。
郵政民営化は一見、官僚組織に風穴を開けたかのような誤解を与える。だが、郵便局に悪役を振って、総務省から取り上げた権限と
天下りポストはそっくり金融庁・財務省の手に落ちた。大蔵族・厚生族である小泉氏の実像を伝えず、政敵を抵抗勢力と呼ぶ小泉用語
をそのままなぞったマスコミは、小泉改革を応援することで日本経済と国民生活の崩壊に大きく貢献したのである。
小泉改革に隠された利権が明らかになった今なお、その追及にマスコミは後ろ向きだ。政局に矮小化して、疑惑から目を逸らす。引
退を宣言した元総理の後ろに見え隠れする米国と財務省にひるんだのか、報道はチェック機能を放棄している。日頃標榜する「国民の
立場」は、どこかに置き忘れたようである。
かくして財務省を頂点とする官僚の権限は、世界に類を見ないほど強大になった。政治も司法もこれに逆らう術を持たない。天下り
は官僚支配の問題のごくごく一部でしかない。
ここまで強大化した霞が関の城砦を切り崩すのは、もはや不可能にちがいない。国民とは異なる自己目的の完遂を目指して強大な権
力を行使する官僚が国民と目的を共有する日が来るとすれば、彼らの権限が意味を持たないほど、日本経済の凋落と国民生活の崩壊が
進んだ時であろう
(エコノミスト)
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